
幼少時からサッカー一筋の人生。プロを目指し練習に没頭するも、試合中の怪我がきっかけで就職の道を選択。プロサッカー選手という夢だけを見てきた自分にケジメをつけるためにも、本気になれるフィールドを探した末、森ビルと出会う。2002年入社。現在はタウンマネジメント事業部にて、街の活性化のためのメディア・スペースの企画・営業を担当している。

2006年6月。サッカーW杯 ドイツ大会、日本代表の初戦の日。当時表参道ヒルズ運営室に勤務していた僕は、サムライブルーに染まった表参道を見て、ひとりガッツポーズをしていた――。さかのぼること4ヶ月。同年2月にオープンしたばかりの表参道ヒルズは、オープン前から各メディアで大きく取りあげられ、世間に話題を振りまきながらこれ以上ない絶好のスタートを切ったばかりであった。ただ、運営室にいた僕たち社員の中には、共通の想いがあった。これを一過性のブームで終わらせてはいけない。これまでも表参道というストリートは日本のファッション・文化の中心地としてトレンドを発信し続けてきた。そしてこのストリートの核として誕生した、表参道ヒルズ。単なる商業施設ではなく、世界に向けた文化情報発信の箱舟として、絶えず話題を提供する存在にしていかなければならない。それは、表参道ヒルズ単体の利益だけではなく、表参道という街自体の繁栄につながっていくのだ。

僕は、もう間もなくはじまるW杯に目をつけた。日本中が心をひとつにするその瞬間を、さらに熱いものにするために、表参道ヒルズが一役買えるはずだと考えた。デスクに向かいひとつの企画をつくりはじめた。ヒルズの外壁をサムライブルーでライトアップし、日本代表にエールを送る。同時にこのことをパブリシティでも発表すれば、表参道自体のより一層のPR効果が期待できるはず。サッカーファンだけではなく、表参道を行き交う人々の心をいかにつかむか。企画書をつくりながら、新しいアイデアはひらめいていった。サムライブループロジェクトと銘打った企画書を仕上げ、僕は自信を深めた。ただし、その企画は誰からの指示があったわけではなく、自分のひらめきと想いをそのままぶつけたものだった。席を立ち、僕は上司に企画書を手渡した。二つ返事が返ってきた。「いいじゃないか」。そこからは早かった。運営室のメンバーだけでなく、施設管理部・協力会社のスタッフも「面白い!」と力を貸してくれた。迎えた試合当日。外壁を青く染めるライトアップは夕方5時からだ。館内で最終チェックを終えた僕は、5時の時報とともに事務所を飛び出した。体が震えた。長い長い表参道の中に、サムライブルーに染まる表参道ヒルズがそこにあった。そして僕は思わず参道を見渡せる歩道橋へと駆け上がり、ガッツポーズをしたのだった。日本代表のキックオフは日本時間深夜であったにも関わらず、表参道ヒルズそして周辺の飲食店はどこも歓声に包まれた。建物というものが持つ可能性の大きさを体感した出来事であった。

それから数年後。僕はタウンマネジメント事業部に異動となり、フィールドを六本木ヒルズという街に移した。 『タウンマネジメント』という考え方は、六本木ヒルズの開業とともに生まれたものだ。複数の施設が集まる街を一体的に管理・運営しながら絶えず話題提供・情報発信する施策を打つ。そうして複合施設ならではの相乗効果をもって街の魅力を最大限に引き出し、街のブランド価値を高めていく。街の価値が高まれば、街メディアを始めとした収益もおのずと高まり、それをプロモーションやサービスに充当することで再び街の価値と人を惹きつける磁力を高めていくのだ。この一連の循環を生み出し、街が衰退することなく成長し続けていくことを『タウンマネジメント』は目指している。今では様々な街や施設で見られる運営手法だが、六本木ヒルズでの取り組みが先駆けであったと言えるし、また森ビルが手がけるタウンマネジメントの強さは、この事業単体で収益を上げている点にあるとも僕は考えている。収益を上げられなければ、前述したような循環は生まれない。その街に暮らす人にとっても、働く人にとっても、休日を楽しむために訪れる人にとっても、そして森ビルにとっても、プラスになる循環があるからこそ、街を衰退させない施策を打ち続けていくことができるのだ。

タウンマネジメント事業部での僕の担当は、メディア事業企画というもの。この六本木ヒルズという街自体をメディアととらえ、様々な企業のプロモーション活動を誘致することが仕事だ。ここであげる収益は、六本木ヒルズの情報発信力に影響する。つまり、この街が発展し続けていけるか否かのカギを握っているわけであり、大きな責任が僕の背中に圧し掛かる。立ち向かうべき難問も多い。単に看板を掲げるだけという古典的な広告ではなく、街が持つ機能を最大限に活かし最大の効果をあげるプロモーション手法の模索。クリスマス、GW、夏祭りなど季節ごとに集客力をあげるイベント立案に協賛獲得、ショップや映画館などがコラボレーションした販売促進・・・。一つ一つの活動を通じて、六本木ヒルズという街が力強く鼓動を打ち続けていける動力を生み出さなければならない。
僕は、表参道ヒルズ時代にひとつの商業施設を核としたタウンマネジメントを経験した。サムライブループロジェクトは僕にとっては大きな経験だった。しかし今、目の前にしている六本木ヒルズというフィールドは、さらに壮大なスケールであり、数々の施設を複合的にプロデュースしていかなければならない。難易度は一気にあがったように思うが、僕の心は燃えている。六本木ヒルズに住まう住民の方は約8000人。そして訪れる方は一日平均100,000人。それだけの人たちの心を奮わせるチャンスに僕は恵まれているのだから。

こうして僕が今立っている森ビルというフィールドは、学生時代の自分に対しても胸を張れる場所だと思っている。実は大学4年生まで、僕はプロサッカー選手を目指していた。同じフィールドで競い合っていた同年代の仲間の中には、今、海外で活躍している選手もいる。しかし僕は、実力不足だった。幼い頃からたったひとつ、プロサッカー選手になるという夢だけを見て生きてきた。悔しかった。サッカー以外に打ち込めるものがあるのだろうかと悩む時期もあった。しかし今では、就職という道を選んで本当によかったと思っている。森ビルでの仕事は、毎日が難問とのぶつかり合い。しかし、一日一日の経験は確かに自分の力になっていく。そうして、街への想い、都市への想い、仕事への想いが、日を追うごとに膨らんでいくのを自分の中で感じ取っている。